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なまちゃんBlog

左卵巣摘出手術&抗がん剤スタート

癌の宣告から、右卵巣摘出手術まで2週間くらいありました。

その間はずっとこの先どうなってしまうのか、不安とモヤモヤ。

日中は1歳の娘のお世話があったので、忘れられましたが、夜娘が寝た後はずっと携帯でいろいろと調べてしまっていました。

 

手術後の病理検査が終わらないと詳しいことは分からないのに

「私は娘が大人になるまで生きられないのかな。この子の成長はもう見れないのかな。」とか

「私がいなくなったら、パパは娘と2人でこの家に住むのかな。大丈夫かな。」とか

もうそれはそれは自分がこの世で1番可哀相だと思っていました。

 

病気と闘っている方のブログを見て、自分より大変な方と比べて「自分はまだいい」とか思ったり、最低でした。

とにかく毎日が必死で、手術まであまり生きている心地がしなかったです。

 

手術は腫瘍ができた左卵巣を摘出するので、2人目の子どももあきらめるしかなくて、、。それも辛かった。

娘が1人だけでも、いてくれてよかった。娘の存在にどれだけ助けられたか、、。

 

 

そんなこんなで手術日。

お腹を切るのは、19歳の頃のとき、娘出産のとき(帝王切開)、今回が3回目にも関わらず、不安で、怖くて手術室の看護師さんたちの前で号泣。

28歳、一児の母にもなって情けないなと思いながら、怖くてたまらなかったです。

 

ちなみに手術前に指す腰への麻酔は激痛だという方もいらっしゃいますが、

私は1回目と3回目の手術時は、これから始まる恐怖と不安で全く痛みを感じませんでした。

2回目は、娘の心拍数が下がってしまい、陣痛がきている状態での緊急帝王切開だったので、これも陣痛の痛みがすごすぎて腰の麻酔は全く覚えていません。

 

そんなこんなで手術は無事終わり、その後の2日くらいはベッドから動けず、寝返りもできず、の状態でこれもまた苦しかったです。

 

痛みに弱い私、、母になっても痛いのとか苦しいのとか大嫌いです。

でも、娘がいるから、頑張ろう!生きなきゃ!!その思いでなんとか踏ん張っていました。

 

手術が終わって、身体もだいぶ動かせるようになる頃には、なんだかすごくポジティブになっていて、「死ぬかもしれない」と思ったらなんでもできる!!元気になったら何しよう?後悔しないようにやりたいことは全部やろう!と思っていました。

 

 

そして手術が終わり2週間後、やはり「卵巣がん」。抗がん剤はマスト。

BEP療法というのをやりました。

 

先生にもこれは普通の抗がん剤ではないので、副作用がきついかも。覚悟するように。

と言われました。

 

 

それについては次回で書きます。

 

 

卵巣がん 分かったきっかけ

現在30代の私。

なんと数年前、28歳で卵巣がんを経験しました。

現在は東南アジア在住の私、そのときはまだ日本にいました。

 

分かったきっかけは、、始まりは大学生のときに遡ります。

当時19歳、大学1年生のとき、いきなり高熱が出たんです。

咳や悪寒など普通の風邪の症状だったので、安静に過ごしていればすぐに良くなると思っていました。

ところが数日たってもあまり良くならず、1人暮らしだったので高熱の中、自電車に乗って市内の市民病院に行きました。

(当時お金もなく、タクシーに乗ろうとは思えませんでした。)

 

 

普通の風邪だと信じて疑いませんでしたが、そのときのお医者さんが私のお腹をチェックしてくれたんです。

 

妊娠もしていないのに大きく膨らんだお腹、触診だけで、先生の表情が変わり、

「すぐにご両親を呼べるかな?」と言われました。

(腹痛も少しあったので、その症状を先生に言うと、すぐに触診してくれました。すぐに異変に気付いてもらえて、今思うと、この先生にすごく感謝です。)

 

未成年、1人暮らしで、実家からかなり離れて暮らしていた私。

両親にすぐに電話をし、数日後に来てくれました。

 

検査の結果、「右卵巣腫瘍 境界悪性」でした。

その後は実家に戻り、大学の春休み中に手術、右卵巣の摘出をしました。

境界悪性、はっきりしない病名で、良性でも悪性(ガン)でもないとのこと。

抗がん剤治療まではしなくても良いけど、今後も半年に1度は再発の可能性もあるので検診を受けるように、という判断で終わりました。

 

金銭面、仕事の関係でときどき検診はサボっていたものの、1年に1回は検診を受けていました。

娘を出産後は、もう自分1人の人生だけじゃない!と思い、半年に1回CT検査を受けていました。

そして社会人になり、結婚、出産を経て28歳、検診で左卵巣に再発しました。

当時娘がもうすぐ1歳半、2人目の子どもを考えているときでした。

 

告知されたときは、自分の話じゃないような気がして涙も出ず。

でも、病室を出たあたりから現実なんだと実感して大号泣した記憶があります。

 

卵巣がんは、実際に手術をして腫瘍を摘出後に病理検査をしないと、ステージはどうなのか、治療法、生存率など細かいことが分かりません。

にもかかわらず、もう自分は死ぬんだ、死にむかっているんだ、とマイナス思考がとまりませんでした。

 

私のまわりの家族も、本当に本当に心配していました。

特に実母は、乳がんと闘っているため辛さがよく分かり、一緒に何度も泣きました。

母の存在に本当に助けられました。

 

夫は仕事が忙しいながらも、「20代の妻を失うかもしれない」とこれまで考えてもみなかった不安とたたかっていたと思います。

 

★プロフィール★

初めまして。なまちゃんです。

簡単に自己紹介をしたいと思います。

 

〇名前 なまちゃん

〇年齢 30代主婦

〇家族構成 夫 幼児1人 3人家族

〇出身 日本/ 東海地方

〇現住所 東南アジアのある国

〇趣味 英語学習/ ローカルめぐり/ ジブリ映画/ 英語学習

 

このブログでは、

★英語学習の話

(英語力ゼロだった私が約2年間でTOEIC875点を取得するためにやったこと)

★病気を克服した話

(20代で卵巣がんを経験→その後バセドウ病を発症し、うつ病も併発。今は心も身体も元気になりました)

日本語教師の話

日本語教師養成420時間を修了しました)

★東南アジアの食料、お買い物事情

 

その他、自分の備忘録としても、役立つ情報をお届けしていきたいと思います。